2011年 02月 23日
茶道
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茶道などと、高尚な趣味はないのですが、ちょっと、違った見方で調べてみました。
茶道という名は江戸時代初期にその名になっていまでも使われています。
元来「茶湯」(ちゃとう)「茶の湯」といい、千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という言葉を使っていたそうです。
平安時代に唐から遣唐使によって伝えられ、魅了された戦国時代の武将は、茶道を家臣に奨励し、豪快な茶会を催していました。
では、なぜ戦国武将は茶道を愛好したのでしょうか?
戦いに明け暮れていたので、何か心の平穏が欲しくて愛好されたわけではありません。
戦国武将は他国を攻めて勢力拡大するたびに、手柄のあった家臣に褒美として領地を与えました。
ところが、敵に攻められた時に首尾よく敵から領地を守り抜いた場合の手柄には褒美がありませんでした。
また、戦いが激化していく度ごとに手柄の数と与える領地バランスに無理が生じるようになってしまったのです。
そこで、与える領地がないのなら家臣が満足するような価値を作りだしてしまえばよいと考えたのが、織田信長でした。信長は当時形になりつつあった茶道に目をつけたのです。
有名な茶器は充分に芸術的価値があり、茶会を開催することで領地の一体感を高め、武将の権威を向上させる役割があったのでしょう。
別に茶道でなくても良かったのではないかと思いますが、当時の茶道が独立した価値として充分に発展していくと見抜いたからではないでしょうか?
大竹 和夫
茶道という名は江戸時代初期にその名になっていまでも使われています。
元来「茶湯」(ちゃとう)「茶の湯」といい、千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という言葉を使っていたそうです。
平安時代に唐から遣唐使によって伝えられ、魅了された戦国時代の武将は、茶道を家臣に奨励し、豪快な茶会を催していました。
では、なぜ戦国武将は茶道を愛好したのでしょうか?
戦いに明け暮れていたので、何か心の平穏が欲しくて愛好されたわけではありません。
戦国武将は他国を攻めて勢力拡大するたびに、手柄のあった家臣に褒美として領地を与えました。
ところが、敵に攻められた時に首尾よく敵から領地を守り抜いた場合の手柄には褒美がありませんでした。
また、戦いが激化していく度ごとに手柄の数と与える領地バランスに無理が生じるようになってしまったのです。
そこで、与える領地がないのなら家臣が満足するような価値を作りだしてしまえばよいと考えたのが、織田信長でした。信長は当時形になりつつあった茶道に目をつけたのです。
有名な茶器は充分に芸術的価値があり、茶会を開催することで領地の一体感を高め、武将の権威を向上させる役割があったのでしょう。
別に茶道でなくても良かったのではないかと思いますが、当時の茶道が独立した価値として充分に発展していくと見抜いたからではないでしょうか?
大竹 和夫
by housingpro
| 2011-02-23 14:15
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